景気の浮沈と技術者不足とシステムエンジニアの商才

2017年は空前の人手不足らしく、企業が感じる労働力の不足感はバブル期並みだそうだ。(人手不足はどこまで深刻なのか | ニッセイ基礎研究所

今回のIT業界の好況は第二次安倍内閣が行ったアベノミクスが始まりだと言われている。

アベノミクスは2012年の終わり頃を起点としているので、今回の好況はかれこれ5年ほど続いていることになる。

システム開発の現場にいる身としては2012年から急に景気が良くなった感はなく徐々に上向きながら、しかし人月単価はなかなか上昇せず、美味しい思いもしていない。

好況と言われる今だからこそ過去何度もあった不況時にIT業界はどのような状況だったのかを振り返る。

開発の現場にいたシステムエンジニアの目線から不況時の業界の様子を俯瞰し、今ならわかるあの時の潮流をあらためて振り返りながら今後の糧あるいは後に続く技術者への道しるべになれば幸いだ。

バブル崩壊

1991年に突如起こったバブル崩壊。

筆者はまだ社会に出たばかりの絵にかいたようなお気楽会社員であり、会社での一番の楽しみは昼休みに女子社員と行うバドミントンであった。

そんな調子なのでバブル崩壊の衝撃度は良くわかっていないし、今でもどこか他人ごとの出来事だ。

しかし当時の筆者の上司たちの狼狽ぶりは今でも鮮明に覚えている。

このバブル崩壊まで情報処理産業(今風に言うとIT系)は不景気を経験したことがなかった。

当時のシステム会社の経営者たちは不況未経験であるが故に不況に対する耐性が殆どなく、不況時に取るべき経営者としての振る舞いがわかっていなかったらしい。

しかしこの時は情報処理産業に限らず、業種・業界を問わず日本中が右往左往であったので情報処理産業界の経営者たちが格別に劣るということでもない。

この時の不況は壮絶で、「SEはティッシュペーパーと同じ」という見出しの記事が書かれるほどだった。(補足すると「ティッシュペーパーのように使い捨て」という意味)

会社に出社しても何も仕事がなかったにもかかわらず、良く解雇されなかったものだ。

コンピューターの技術的なトレンドとしてはWindows3.1というOSが世に出た頃で、Microsoft社はこのOSで世間における地位を確固たるものする。

またダウンサイジングの流れが本格化し、それまで主役であったホストコンピューターからパーソナルコンピューターへと視点が移ると共に、クライアントサーバー(いわゆるクラサバ)系のシステム開発が主流になっていく。

Windowsの台頭とともにパソコンが一般家庭に普及し、インターネットが出始めるのもこの頃であるがまだインターネットというよりパソコン通信の時代だ。

Windows3.1は大ヒットするのだがWindowsアプリケーションを開発できる企業は少なかったし、アプリケーションの数も少なかった。

筆者の周辺にはWindowsアプリの開発を推す技術者も少なくなかった。

今から思えばこの頃はどんなアプリケーションを作っても注目されたし、何でもありボーナスステージ状態だったのだ。

トレンドマイクロのウィルスバスターが出始めるのがこの頃。

CD-Rが商品化されるのもこの頃。

筆者のチームはディスクドライバの開発実績が豊富だったから、この辺のアプリを開発しても面白かったと思う。

もしこの時代に戻れるのなら、出来ない理由ばかりボヤいてないで何でもいいからWindowsアプリを作っちまえ!と言ってやりたい。

商才の無さを痛感せざるを得ない切ない思い出だ・・・。

ITバブル崩壊

ITバブルとは1990年代後半(1997年頃)から始まったインターネット企業ブームだ。

ドットネット企業と呼称される新興企業が続々と誕生し、株式を公開するベンチャー企業も少なくなかった。

実は情報処理産業は他の業界に先駆けてバブル崩壊による不況を克服し、この頃は意外にもまぁまぁの好景気だった。

従来型のシステム投資が復調し、それに加えてインターネット・WEB関連(いわゆるIT系)の開発も本格的になり、この頃のSEはこの世の春を謳歌していた。

大きな声では言えないが筆者も春を謳歌していたクチである。

いわゆる「IT系」と言われている企業の黎明期でもあり、楽天(1997年創業)やサイバーエージェント(1998年創業)など今をトキメクIT企業が創業したのもこの頃だ。

この時期にどういった技術トレンドに乗っかるかがその後の技術者の行く末に大きな影響を与えるのだが、従来型のシステム開発(SI系)を選ぶか、当時まだ目新しかったIT系開発を選ぶかという選択肢があった。

筆者はIT系開発を強く希望していた。

当時のIT系に分類される開発では開発言語にPHPを採用するケースすら珍しく、最もポピュラーな開発言語はPerlだった。

業務系システムを手掛ける企業からするとIT系の開発は学生がお遊びで作るプログラムという認識だったし、その発注単価は業務系のそれに遠く及ばない本当にアルバイトレベルのものだった。

この頃のWEB系というかITバブルの波に乗っていたベンチャー企業の雰囲気は「社長失格(板倉雄一郎)」や「追われ者(松島庸)」などを読むと垣間見ることが出来るので興味のある方はご一読をお勧めする。

存在感を増し続けるIT系開発だったがSI系の営業さんは華やかなベンチャー企業の案件には全く興味がない感じで、「PerlとかPHPとかを使ったIT系の仕事探してるんですけど」なんて言おうものなら変人扱いされたものだ。

そんな背景もあり、ズルズルと業務系システム開発の現場にドップリ浸かり、それなりに優遇された待遇にも甘んじ、惰性の日々を過ごしてしまった。

そんな矢先に起こったITバブルの崩壊である。

ベンチャー系に属する新興企業はみるみる姿を消すことになるが、業務系システム開発への影響はそれほどなかったように記憶している。

ITバブル崩壊という言葉はよく耳にしたが、業務系システム開発の現場はおかげさまで相変わらず忙しかった。

しかし中途半端に仕事があった業務系システム開発の現場から飛び出すとしたらこの時はチャンスだったのだ。

IT系とはなんだったのか?

当時のシステム開発現場ではIT系(WEB系)とか業務系とかいう言葉が飛び交っていたが、筆者は正直良くわかってなかった。

取引先のプロジェクトマネージャークラスでも「IT系って何だろうな?」という疑問を持つ人もいたくらいだ。

IT系とSI系の境界線も不明瞭なまま、何となくPHPみたいな軽量プログラミング言語を使うのがIT系で、Javaを使っているのがSI系でしょ?程度の認識だった。

筆者が参入を熱望したIT系の開発とは何だったのだろうか?

IT系の本質はインターネットというインフラを活用した「ビジネスを作り出す」という点にある。

IT系に属する企業は今まで見たこともないビジネスを生み出し、それを生業にする。

SI系に属する企業は既にある商売のシステム化を請け負うことを生業にする、よくあるシステム開発会社だ。

この両者には決定的な違いがあるのだが技術者の目線でいるとその違いは判然としなかったのだ。

筆者はIT系の開発を希望していたがそれはPHPやPerlというプログラミング言語を使いたかったわけではなく、商売を始めたかったのだなぁと今なら思える。

だからアプローチすべきはSI系開発案件をたくさん抱える営業さんではなく、ITバブル崩壊の危機に瀕しながらもしぶとく生き残った企業経営者だったのだ。

ITバブルが弾けた頃、世間の耳目は破綻するベンチャー企業に向きがちだった。

しかし、ITバブルに触発されて起業を志すアントレプレナーたちはまだまだ死に絶えてはいなかった。

ITバブル崩壊は危機ではあったのだがそれは破滅的な窮地ではなく、未来への過渡期として必要な調整だったのだろう。

もしこの時代に戻れるのなら、目先の利益に惑わされず、進みたい方向を見失うな!と自分に言ってやりたい。

リーマン・ショック

2008年9月15日、アメリカで起こったリーマンブラザーズの破綻。

そんな遠くの国で発生した金融機関の破綻が、日本に影響を及ぼすなどとは全く想像できなかった。

この頃のシステム開発の現場では携帯電話系の開発が盛んで、それは制御系システムの範疇にある開発だった。

携帯電話といってもスマートフォンではなくガラケーである。

ガラケーの開発現場はどこのメーカーも過酷で技術者にとって全く不人気な開発であり且つC言語という古式ゆかしいプログラミング言語を使用している点も不人気に拍車をかけた。

とはいえ携帯電話(ガラケー)の出荷台数は毎年右肩上がりであり、メーカー各社にとってそれはドル箱だったのだ。

人材をそこに集中するのも企業の判断としては自然なことだ。

筆者もマネージャー的な立場で携帯電話の開発に携わっていた。

これは不本意ではあったのだが、C言語と組込み系という経歴は当時はもう絶滅危惧種的な扱いで技術者がいないのだ。

だから筆者のような携帯電話開発に消極的な技術者でもお声をかけて頂けたのだ。

リーマンショックの頃になるとガラケーの開発は下火になりつつあり、代わってスマートフォンが出始めた頃だ。

各メーカーもスマートフォンの開発に着手し始めていたが、Androidの扱いに苦戦し日本メーカーがこだわる品質の確保がなかなかに困難だった。

ガラケーの販売台数も頭打ちだしスマホの開発も進まんし、閉塞感溢れる現場に降って湧いたリーマンショックだ。

予定されていた開発プロジェクトが急に凍結になったり、中止されたりで技術者の配置転換業務に忙殺された。

それは本当に急な出来事で全く受け身が取れずノーガードのまま激流に翻弄されていた。

しかし今思えばここは大きな転換点だったのだ。

世の中の携帯端末がフィーチャーフォンからスマートフォンに移り始める端境期に、僅かではあってもスマートフォン開発に関わったのはアドバンテージのはずだった。

iPhoneやAndroid機のようなスマートフォンがフィーチャーフォンにとって代わり、世を席巻するであろうことはわかっていた。

スマホが普及すればそこで動くアプリケーションが求められるのは自明である。

これはバブル崩壊時にWindows3.1が世に出た時ととても良く似た状況だ。

ほどなくしてスマホアプリの開発業務が活況を呈することになる。

実はこの時スマホアプリ開発に踏み出すことを躊躇したのには理由があった。

当時のスマートフォンはハードウェア的にとても未熟だった。

技術者としてスマホアプリの開発なんて全然やる気になれなかった。

スマホデバイスの開発現場を中途半端に知ってしまっていたから判断を間違ったのかもしれない。

筆者はまたしてもチャンスを逸してしまったのだ。

商才の無さを痛感する出来事である。

アベノミクス景気

2013年から緩やかに続くアベノミクス景気の恩恵で世の中は空前の技術者不足だそうだ。

筆者はこの好景気の恩恵をあまり得られていないが、技術者が不足しているのは感じていた。

筆者は業界に出回る「開発案件」なる怪しい情報を収集している。

同時に出回っている「開発要員」という情報も合わせて収集している。

この「開発案件」情報には技術者を募集している開発プロジェクトの概要が記載されており「開発要員」情報には仕事を探している技術者の概要が記されているのだが、興味深いのはそれぞれの数である。

求人数に対する技術者の数が圧倒的に少ないのだ。

過去、経験したことも無いほど多くのプロジェクトが技術者を求めている。

筆者の感覚では技術者10人に対して開発案件は100はある。

技術者の10倍の数の開発プロジェクトがあるということになる。

これは些か乱暴な比較ではあるが、しかし技術者を求める開発プロジェクト数と仕事を求める技術者数にこれほどの差があったことは過去に記憶がない。

この状況がここ最近続いているのだ。

そんなことからも今の人手不足がただ事ではないことは察しが付く。

システムエンジニアの商才と感性

さて、過去何度もあった景気の大きな浮沈だが、そのほとんどの局面が後から思い返せば大きなビジネスに繋がる好機でもあった。

過去の経験に照らし合わせみれば、ここ最近のように大味な時流の前後に潮目の変化は起こる。

必死に技術者を探しているプロジェクトマネージャー、技術者不足が原因で破綻寸前の開発現場にいる技術者たち、有り余る開発プロジェクトを悠然と選別しているフリーランスSE。

それぞれ異なる立場にありながら果敢に目の前の課題に挑んでいることだろう。

毎日の雑務に忙殺されながらも視野を広げ、将来大きく育つかもしれない商売の芽と人とのご縁を育むのはまさに今なのだろうと自戒する。

とかく慎重派の多いシステムエンジニアだが、先入観に捉われあるいは踏み出すことをためらってしまった過去の失敗を糧に次の行動の意図とするのは今こそが絶好機なのだろう。

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